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はじめに
私は、ラブライブは全てのアイドルアニメを過去のものにしたと言っても過言ではないと思っている。
魔法のステージファンシーララなんかよりも面白い。
ここまでの成功を収めたのはひとえにファンの応援によるものが大きいのは言うまでもないだろう。
ラブライブの歴史を紐解くと、読者参加型の企画として始まったと聞く。
2010年頃から始まったらしく、最初の頃はさっぱり売れなかったようだ。
まさに、アイドルの下積み時代である。
また、μ'sというユニット名も公募で決まったらしく御児勇馬さんが命名したようだ。
3年ほど冬が続き、ブームに火がついたのは2013年から。
丁度、ソーシャルゲームとアニメが登場したあたりからだ。
ヒロインたちのビジュアルも、整形したかのように変わり一躍、時代の花形となった。
2013年というのは、スクールアイドルという新しい概念を世に知らしめた記念すべき年である。暇人は覚えておこう。
2014年になると、もはや社会現象といっても過言ではないくらいに世間を席巻した。
ラブライバーとよばれる次世代型オタクの台頭、冬の時代から応援している古参ラブライバーがブイブイといわせるようになった。
古参ラブライバーいわく、「μ'sはワシが育てた」「俺は昔っから応援していた」。
そして、「派手さだけが目立つようになった」「4年前から俺は流行ると思っていた」「ラブライブの曲は聴く曲じゃなくて打つ曲だから」と謎めいた言動が横行し、今に至る。
今現在、ライバー界隈は混沌に満ちているようだが、
これも、それも、愛なのだろうか。
ラブライブのテーマや本質、コアの部分
小説はシニフィエであるし、文学もアニメも記号の集合体だ。
一見、主人公ほのかを中心としたメンバーの成長ストーリー、青春群像劇だと思われがちだが、掘り下げて考えてみるとどうも違うようだ。
逆境に立ち向かっていく少女たちの物語、キャッチにもなっているみんなで叶える物語というのが解答に近そうではある。だが、何かしっくりこない。
チェス盤をひっくり返すのではなく、ジグソーパズルを分解するという方法で答えを見つけることができた。
おそらく、ラブライブのテーマは、「少女たちがやりたいこと」である。
第8話を見ればわかる通り、タイトルにもなっている。
例えばシコマスなんかは、
可愛いキャラクターを前面に押し、物語の記号の全てをキャラの魅力をひきたてる舞台装置と捉え、キャラの魅力を語るという作風である。
しかし、ラブライブの可愛さというのは、あくまで付随的なもので、
やっぱり訴求したいのは、少女たちがやりたいことなんだってのは、
見ていて心の底からそう思う。
ライバーは自己愛か!?
突き詰めて考えていけば、キモオタが言う萌えというのは、自己愛の発露である。
ライバーが缶バッチを身にまとうのも自己愛である。例えば、下の女性なんかは、
自分は小泉花陽に似ていると思いこんでいるらしく、
自己愛の数値のようなものが極限にまで達してしまったのではないかと考えられる。
ちなみに、私はにこ様が好きです。
そのキャラがかわいいと思っているのではなく、実は自分が可愛いと思っている。
自分に酔っている。